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一日の長が、短に?

みんなでChatGPTを使って、スプシ×GASで業務ツールを作ってみた。

社歴10余年、理系出身ということもあって、プログラミングには新人たちより一日の長があるつもりだ。

ChatGPTに質問をして返ってきたコードを実行したところ、エラーが。
よしよし、ここが腕の見せ所だと、エラーの内容をチェックし、コードを書き換えながらテスト。

知っている知識をフル稼働して、コードを一行ずつ直していった。
こういったバグとりは、まさに一日の長が出るところだ。

と、そこまで考えたところで、「待てよ?」と頭の中でアラートが。

プログラミングの世界は奥深い。
多少知った気でいるけれど、まだまだ僕が知らないエレガントなメソッドがいっぱいある。
そうすると、こうやって一日の長と思ってカリカリ書いてきた経験を使いながらバグとりをするよりも、ひょっとしてまっさらな新人たちがChatGPTと対話しながら作ったプログラムの方が、優れたものになるのではないだろうか。

もしかして僕は、馬車を一生懸命走らせて自動車に勝とうとしているのでは・・・?

一日の長だったはずのものが、短に変わる。
実際に今年入ってきたばかりの新人が、一目見ただけでは理解できない複雑なコードを実行している。

それを横目に僕もあわてて、「すみません、出していただいたこのコードにエラーが出たんですが・・・」と、平身低頭、ChatGPTにおうかがいを立てた。──A.H

「便利な」お菓子と「不便な」お菓子の話、です。

2022年末ぐらいから、生成系AIサービスが次々に生まれている。便利だ。ほどよいクオリティのコンテンツを、一瞬で生み出してくれる。便利はいいことだ。実際、仕事でChatGPTやStabke Diffusionを使うと、便利だし、速いし、楽しい。

その一方で、デジサーチには、「セル生産」という考え方がある。工程を分業するのではなく、すべての工程を一人で仕上げる方法のこと。これは、便利か不便かと聞かれれば、とくに働き始めは覚えることも多いかもしれないから、ちょっと不便かもしれない―。

ここで、デジサーチの商品ではないのだけれど、あるお菓子の話をしたい。

「甘栗むいちゃいました」と「ねるねるねーるね」。この2つの商品は、クラシエホールディングス株式会社という会社のヒット商品だ。栗の皮をむかなくてもすぐ食べられて便利な「甘栗むいちゃいました」。もう一方は、自分で水を用意し、何種類もの粉をトレイに分けて入れ、説明を読みながら作らなければ食べられない、ちょっと不便な「ねるねるねーるね」。
どちらも大ヒット商品なのだけれど、方向性がちがう。「便利な」お菓子と、「不便な」お菓子。正反対だけれど、どちらも人の心をとらえ、楽しませている。

便利なことと、不便なこと―。機械が実行するなら便利を追求したほうが良いと思うけれど、人間が仕事をする以上、どちらかだけでもつまらないし、個々人によっても心地よいバランスは違う。そして、その個々の集合体のバランスに、組織の色が出るものだと思っている。──T.K

自分の仕事と、誰かの仕事。

デジサーチにはいわゆる人事部という部署はないし、部長も、課長もいない。
誰がどんなブランドを担当するか、どんな仕事をするか、基本的には自分の裁量で決めるけれど、
様々なブランドの担当や状況、各自の仕事の兼ね合いも見ながら、
同じデジサーチ社内の人達とよくよく話し合って決める。

今日の会議でもたっぷりとそんな話をしていた。

「Yさんのクリエイティブにはヒロトとマーシーが宿ってるから」

「包帯にロマンを感じるのって男子の宿命なんですよね」

「骨折した次の日ってヒーローじゃなかった?」

Yさんのクリエイティブをさらに活かしていくにはどんなブランドが相性が良いか、
そんな話を延々と話すのが好きな人が集まっているのだと思う。

細かなデータや売上だけでは測れない会社の未来予想図をみんなで少しずつ描き足していくような感覚。

一枚だけ撮った写真

何枚も作った中から、一つだけ選んだデザイン画

一言だけ書いたキャッチコピー

そんな小さな言葉、細かな日々のクリエイティブが、
いつかはブランドそのものを表すようになることもある。

自分の仕事も、誰かの仕事も、デジサーチという空間の中、
自由で不自由に響き合い、重なり合う。

何気なく、外に出て心地よい5月のそよ風に吹かれながら、
各々好きに買ってきたごはんを食べた、お昼休みのように。──D.K

一生モノという究極のサステナブル

大学の工学部時代に、環境・エネルギーシステムを専攻した中での一番の学びは、「ライフサイクル」でものを考えるということ。

環境にやさしいエネルギーも、そのやさしいエネルギーを生み出すためにエネルギーをたくさん使ってしまうならば、それは環境にやさしくない、ということになる。

そうした「循環する工程」で環境を捉えることの意義を働き始めて15年近く経った今も、ものづくりに寄り添う仕事をしている中で日々、感じている。

ものづくりの世界でも、いわゆる「エコロジーな」素材を使った製品が多く世に送り出されているが、まだまだ長持ちするかというところで課題があり、頻繁に買い替えるという大量消費に繋がってしまう、という実情もある。試行錯誤の段階と言えるだろう。

昨今では、AIが製品をデザインする、というアプローチが世のあちこちで始まり、その熱狂ぶりが物凄い。「アイデアを形にする」ハードルが大きく下がったことは、クリエイターとしては歓迎すべき動きだ。老舗ものづくりメーカーが老舗たるには、時代に適応しながら、真新しさを取り入れていくこと。その土台としての、永く使ってもらえる「モノの良さ」を実現する技術。真新しいものが世に生み出される中でも、モノの良さの根幹として、揺るがないもの。老舗メーカーの経営者の方と膝を突き合わせて、「一生モノ」のものづくりに携われるというのは、大量にアイデアが形になる今の時代だからこそ、より味わい深く感じられるのかもしれない。──D.S

心地のいい沈黙

デジサーチの会議に出ていると定期的に訪れる、全員がぴたりと口を閉ざす時間。
でも決してネガティブな意味ではなくって、デジサーチらしいこの時間が私は結構好きだったりする。

沈黙タイムがやってくるのは、みんながなにかに集中しているとき。
例えば、一気に新しい商品のデザインをしてみたり。
例えば、人事のことを各個人で考えてみたり。

ちなみに今日一番の沈黙は、最近話題のChatGPTという会話形AIとスプレッドシートを組み合わせて、
各々が業務効率化のための仕組みを作っていたときに訪れた。

みんな無言でキーボードを叩きまくった30分。
360度からわくわくと集中の空気を感じて、なんだか心地のいい沈黙だったな。──A.H

お友だちできました

ChatGPT、AI・・・育休明けのわたしにとっては、寝耳に水というか氷くらいの驚きです。
(お休み前には話題にはなってなかったはず)
なんとなく話題になっているなあ、と思っているくらいでしたが、
久々の復帰で、PCのさわりかたから思い出していたところに、
まさか仕事にぐっと関わることがあるなんて…!結構焦りました。

ChatGPTは、今まで試しにさわってみたのは3回くらい、今日はじめてがっつり付き合ってみました。

感想。今までごめん。なかよくなれそうじゃん!

まず腰が重いわたしにとって、AIってなに!しかもコードとか知らんし、書くの怖いんだけど!
が最初の印象でした。偏見がとても多いです・・・
とりあえず、とっても簡単なことからお話ししてみました。
ひとこと・・・さらに一文ふやしてもうひとこと・・・

優しい返答でなんだか、仲良くなれる雰囲気がでてきました。
投げかける言葉次第で、とんちんかんな事も返ってきたりしましたが、
わたしが悪かったんだな・・・次はどんなお話しがいいかしら・・・
と、わかりやすく意図を伝える コミュニケーションでは当たり前のことを
やってみると、自分の中も整理されて順序だって考えられてる・・・!
プログラマーってこんなことをぐるぐる考えているの・・・!(ほんのさわりだけでも感じられたような気がします)

聞いたらぜったい答えてくれる安心感。なかよくなれそう。
今日、ChatGPTを使って作業してみて、
すぐにこのChatGPTが当たり前に仕事にとけこんでくる日がくるんだろうな~と
身に染みて思いました。
今までやっていた仕事も、時間のかけ方だったり効率がぐんと変わるよな~。
その時間の価値が変わっていくのを感じて、来週からの仕事もがんばるぞ。

ChatGPT、AI。これからお付き合いよろしくお願いいたします( ˘ω˘ )──S.K

「新しい」との付き合い方

新しい物事と出会った時、心の中でそれを楽しそうと思うか拒否反応を示すかは、自分自身の柔軟性を測るバロメーターになっている。

生成系AIが話題になった時、自分自身のファーストインプレッションを振り返ってみて、「楽しそうだな」と自然に思えた事にほっとした面もあった。
AIの発展が怖いという意見も分かるけれど、ラッダイト運動が成功しなかったように、生まれ落ちたテクノロジーを拒否する事はできない。

イノベーションの加速する現代では、好むと好まざるとに関係なくそれらはやってくる。それも密度と速度を加速させながら。
であるならばその状況を楽しんだ者勝ちである。

chat GPTでソースコードを描いてもらう指令を出してみる。
ソースコードではなく自然言語で命令できる事によって、ソースを記述するという行為への拒否反応は著しく減っている。

けれど、もしも最初から拒否反応を示してしまっていたら、この「意外に出来るかも」という感覚値を得る事すら困難な道のりになるのだと思う。
次の「新しい」との出会いも、そのありのままの姿を面白そうと思い続けられるように願っている。 ──T.K

当たり前、の、もっと前の……

デジサーチの商品を作っていただいている工場に見学に行かせていただくと、毎回とても多くの発見がある。
ひとつのバッグを完成させるには何十もの工程があって、そのひとつひとつに、職人さんごとの色が表れる。

たとえば、バッグのくったり感を出すためには、革の裏から「芯材」といわれるものを貼って支える必要がある。バッグが柔らかすぎても持ちにくいし、堅くなりすぎると美しくない。だから、バッグを構成するパーツひとつひとつごとに違う芯材を使う。

……そんなすごい話を、職人さんは当然のような顔をして話す。
僕たちが「そんなすごいことしてるんですか!」と驚くと、職人さんも「え、そんな驚きますか!」と驚く。

職人さんからすれば、パーツごとに芯材を変えるなんて当たり前のこと。
でも、それは工場の外のひとからしてみれば、信じられないほど手間のかかるこだわりだ。
数えきれないほどの手間やこだわりを、職人さんは何年、何十年とものづくりをするなかで当たり前にしていく。

工場の職人さんたちと並べるのはおこがましいかもしれないけれど、デジサーチの仕事にも似たようなところがある。
分業しないという組織のあり方、Googleのスプレッドシートの使い方、WEB広告の使い方、どれも外部のひとは「信じられない!」という。
本やネットで調べた知識だけでなく、自分なりの実践のなかで、それぞれに合った使い方を極めていく。
そういう手間暇をあえてかけてきたからこそ、新しい技術やツールに触れたときに、手の動かし方がわかる。たとえば「ChatGPTを使った自動化をしてみよう」というとそれぞれ一斉に手を動かすことができる。

ものづくりをするということ、そして仕事をするということは、「当たり前じゃないことを当たり前にしていく」ことかもしれない。
いまの時代、当たり前じゃないことは(比喩ではなく本当に)毎日出てくる。
それらをいかに当たり前にしていくか、それがデジサーチで働くなかでの醍醐味であり旨味かもしれませんね。──S.K

便利になることを受け入れてゆく

正直なところ、イラストを描くのが趣味だった自分としては、画像生成AIの登場は「……うわぁ」と心にキたものだ。明らかに便利なことが理解できていても。そして今、ChatGPTの登場でエンジニアの一部の人が、自分とは比較にならないほど、何かを思っているのだろう。

そして、そんなChatGPTを使って「いやー便利だわー」と口にできる自分は、何というか現金なもので。
でも冷静になれば、当たり前に使っている、Photoshopやblender、それこそExcelの表作成機能、果てにはSUM関数まで、技術の進歩は、多くの職人技を過去のモノしてきたはずだ。

そう思うと、画像生成AIに関しても「活用していくしかないな」と開き直れる気もする。

ChatGPTの存在は、プログラミングの知識がない人にとっては大きな助けになるはずで、それで、できないことができるようになることは、間違いなく自分にとっても、微笑ましいことで。

次は何が民主化されてしまうのかは恐ろしくもあるが、こればっかりはなるようにしかなく。できることが増えることを受け入れたいところだ。 ──T.O

作る人たち

作る人であり続けたいなって漠然と思っている。

文章でも、写真でも、システムでも、組織でもなんでもいい。
でもとにかく、何か作るということを忘れないでいたいと思う。

「ブランドを形作る特徴、技術ってなんだろう?」ということをみんなで考えた。

ものづくりのノウハウ、最近の言葉でいうと「サヴォアフェール」というとかっこいいんだろうけど、言葉に現れない職人の方々のノウハウって本当にすごい。

実際に職人さんの仕事を見させてもらうこともある。

ちょっとした工程のひとつひとつが、大げさかもしれないけれど、本当に美しいと思う。

ミシンの糸をさっと架け替えて、縫い代を調整するのにドライバーを手に取る。
1秒に満たないちょっとした動作が、洗練されている。

そうして出来上がった商品を世の中に届ける者として、身が引きしまる思いだった。

人によって「何を」という違いあるけれど、僕の同僚たちはみんな、作る話になると目を輝かせる。
なんだか、こういう人たちに囲まれていて嬉しいなと思う。

作って、作って、作って。
その先に何があるかはわからないけど。──A.H