道理って「自分どおり」

「そういえば、面白い記事があったんですよ」田中さんが、先日亡くなったオシム監督の追悼記事を見せてくれた。

書いたのは、何度もオシム監督を取材してきた記者。当時、記者は監督の言動を「どこか謎めいているな」と考えていたそうです。例えば、優勝した時のこと。選手からの胴上げを辞退して、喜ぶそぶりをあまり見せずに「これが最後のタイトルにならないよう願っている」と言ったかと思えば、優勝争いをしている時には「優勝しないといけないのか」と言ってみたり。

こうした言動を理解できなかった記者ですが、後になって「オシム監督は、成功か失敗かという結果よりも、そこへの挑戦のプロセスが人生を豊かにすると考えていた」という自分なり解釈を得たという記事でした。そのヒントになったのは、次の「論語と算盤」の一節だったそうです。

理にのっとって一身を終始するならば、成功失敗のごときはおろか、それ以上に価値ある生涯を送ることができるのである” ( 渋沢栄一『論語と算盤』)

田中さんが注目したの「道理」という言葉でした。

「たぶん、胴上げをされることは、オシム監督の道理に反していたんでしょうね。”これが最後のタイトルにならないよう願っている”という言葉も、一度の達成ぐらいでいい気になってはいけない、という彼の道理に従ったチームへの助言だったのかもしれません」

「この道理って言葉なんですけどね、それが世の中で既に決まっているもので、社会的同調圧力で押し付けられる論理だったら……もったいない!と思います。ではなくて、道理が自分が輝ける道、という意味なら、”道理にのっとって一身を終始する”価値はあると思いませんか?」

田中さんの言う「道理」とは「ここを進んでいけば、存分にパフォーマンスを発揮できる!」と、自分で理解できている道、ということでしょう。

オリジナリティ溢れる「考えて走るサッカー」でファンをワクワクされたオシム監督には、それを実現する彼なりの道理があったように、挑戦する人の数だけ道理があるはず、という発想です。

「自分に嘘をつかなくていい道理であることが大切。道理って”自分どおり”という意味なんじゃないですか?」

自分に無理をしていないか、自分が輝けるのか。世の中の理ではなく、自分だけに見える道に沿って。これって、チェンジメイクのヒントかもしれませんね──R.Y

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