機会に、活かされて

コンゴからやってきたお医者さん・ギムさんと、久しぶりに会いました。3年前、COEBIで初めて出会ったときの彼は、難民申請中の外国人、つまりは「難民」でした。

前回会ったのは、日本の在留カード取得を祝うため。今回は、大学院卒業のお祝いに。頻繁にLINEをするわけではないけれど、節目には律儀に連絡をくれるので、会うことになります。彼に起きた良いことは、自分ごとのように喜べる。そんな友人の一人です。

ギムさんが我が家のリビングに3ヶ月間滞在していたのは、2019年のこと。COEBIに入居する難民支援NPO・WELgeeからの紹介でした。外国人という壁に阻まれて、なかなか賃貸物件を見つけられない間、我が家に居候していました。

母国を逃れ、3週間、水道橋駅前のマクドナルドで夜を過ごす日々からはじまった日本での暮らし。「自分の人生で最悪の経験だった」と振り返るギムさんには、幸いにも、医療という専門的な知見と、諦めない心がありました。それをWELgeeは「逆境パッション」と呼びます。

ギムさんの持つ逆境パッションが、彼に日本での良き縁を運んできたのかもしれません。お医者さんであるギムさんは、医療関係者から特に真摯なサポートを受けました。

「あなたなら、我々が何をやっているか、見れば分かるでしょう」

産婦人科医であるギムさんに、帝王切開の現場を視察させてくれたお医師さんもいました。ギムさんはやがて、夜間の配送センターのアルバイトに代わって、総合病院の外国人対応の仕事を得ました。

「やっぱり、私はドクターだから」

医療を通して日本社会と関われることが、とてつもなく嬉しかったそうです。

ギムさんは慣れない仕事に追われるめまぐるしい日々を送りながら、「難民となった時間を、絶対に無駄にはしない」「今の自分に、何ができるのか」と、自問自答しながら、今後の人生の具体的なプランを定めていきました。

2020年4月、ギムさんは大学院に入学しました。公衆衛生のスペシャリストになるためです。この専攻に心惹かれたのは、一人の医師として目の前の患者に向き合うだけでは解決できない、構造上の問題にチャレンジできるから。公衆衛生は、伝染病が蔓延し、環境衛生の改善が急務で、医療体制が整っていないコンゴにとって、人を救うための実践知そのものです。

スワヒリ語、フランス語を母国語とするギムさんにとって、英語と日本語を使う業務と授業に追われる毎日は、苦難の連続でした。それでも、日中は総合病院での業務をこなし、夜は英語の授業を受け、日本語のレポートを書き続けたギムさん。見事2年で公衆衛生の修士号を取得してみせました。

* * *

”Opportunity”

ギムさんとの会話には、この単語が頻出します。機会によって人が活かされることを、誰よりも体感してきた、彼らしい言葉のチョイスです。

そんな彼には、実現したいビジョンがあるそう。それは、コンゴの若い世代に学びの機会を作ることです。

僕が会っていない間に、病院マネジメントを専門とする日本の医療関係者を巻き込んで、NPOを既に設立していることに驚きました。

このNPOの目的は、コンゴをはじめ、アフリカで活躍できる医療従事者を育てること。手始めに、コンゴの医学部生30名を対象に、半年間のオンライン教育プログラムをはじめたそうです。

毎週金曜日、寄付で揃えたWi-fiと一台のパソコンの画面越しに、コンゴの次世代へのDr.ギムの講義がはじまっています。ギムさんのビジョンは、プランとして、小さく、コツコツと、動き出しています。

「終わらない紛争」「繰り返される市民攻撃」「日常的な略奪」

「800万人以上の食糧難」「300万人以上の国内避難民」

「エボラ出血熱」「新型コロナウイルス」

コンゴはあらゆる困難に直面し続けている国だ、と言えるかもしれない。

その未来を変えるためにも、若い世代に機会を作りたいと、ギムさんは僕に何度も言いました。

一国の未来を変えるほどの人達を育てるなんて、いつ実現できるかも分からないし、本当にできるか分からないし、もしかしたら、そんなことは不可能なのかもしれません。

でも、少なくともギムさんは、誰に頼まれることもなく、このビジョンにただ突き進んでいくんだろうな、と思いました。

カフェを出て、新宿の街を散歩し、JR新宿駅の改札の前に着いても、ギムさんの話は尽きません。僕たちは、改札近くのカフェに再び入り、話を続けました──R.Y

※このメディアは企業再生案件など、センシティブな話題があるため、登場人物は全て仮名で表記しております。